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さあ行かなきゃ 勝負の場所へ

ひとりの笛役者についていろいろ考えてみた/舞台「桃山ビート・トライブ」感想

舞台「桃山ビート・トライブ」の東京公演も残す公演がわずかということで、ちほ一座の音楽と舞があと数公演しか観ることができないということについて寂しいなあと思いながら、京都公演からずっと書こう書こうと思いながら書くことが出来なかったことを公演が終わってしまう前に書きたいなと思って、この後も公演があるのに朝からブログを書いています(笑)。原作については半分程度しか読めていないので(なるべく先入観をいれずに観劇したかったこともあり)、原作ありきの感想というよりは舞台のみ見た人間の考察・感想になっていますので読んで頂く際はご承知おきください。よろしくお願いします。

「桃山ビート・トライブ」は今回が2017年の初演に対して再演という形でしたが、わたしは初めて桃山を観劇した人間です。
だから当時散々考察されてきたことかもしれないですが、今回初めて桃山を観て、観る度に小平太の笛役者として自身の「笛の腕」について褒められることで自らの存在意義を感じるといったところに、もう一人の主人公としてストーリーの中で大事な役割を担っているのかなと感じました。

桃山の冒頭のシーンで、「笛役者になりたい」と小平太は笛職人の父に宣言します。
宣言した結果、父に「その程度の腕前の笛役者なんか京にたくさんいる」「笛職人になれ」と言われる始末。
舞台中での小平太の性格としては、ひょんなことから偶然一座を一緒に組むことになった藤次郎やちほ、弥介といった変わり者の中では逆に目立つくらい普通の人間で、その3人と比較すると控えめな人間かなと思っています。

たぶん小平太は石橋をこれでもかって叩いて叩いて渡るタイプ。
河童(実は弥介)を探しに行くシーンでも分かるように、藤次郎が引っ張っていって、小平太はそれについていく。
藤次郎が先頭に立って引っ張っていってくれるからこそ、1幕のちほ一座としての彼らは個々の個性がとても強い集まりであっても、成り立っていたのかなと思います。
でもそんな自分に自信のない、常に姿勢ですら猫背気味な小平太でも、自身の笛の腕に少しでも自信があったからこそ、小平太は笛役者になろうと決心したのではないか?と予測に過ぎないですが、そう思っています。

大丈夫だ、と石橋を叩いて叩いて自信を持って渡ろうとしたところで、父に「向いていない」、「ダメだ」といわれてしまった。
だからこそ、藤次郎に出会って、「お前の笛の腕が必要なんだ」と言われ、自身の笛役者としての能力を認めてくれる人間がいることはとても嬉しかったのではないかなと思います。
もちろん、藤次郎に出会うまでも、京で一番と言われるお国一座の笛役者として一座にいた小平太でしたが、藤次郎に出会ったきっかけの店で酒を飲みながら「客が見ているのはお国だけだ」と愚痴を言っているところをみると、自分の笛をもっといろいろな人に聞いてもらいたいという気持ちが言葉の節々から伝わってきます。

そうして物語の中では笛の腕を見込まれ、ちほ一座の一員となった小平太。
ちほ一座に加わってからしばらくして、ちほ一座の評判を知った武士をきっかけとして、太閤様の前で舞ってほしいと一座に誘いが来ます。
その誘いをきっかけに、藤次郎やちほと小平太はケンカをしてしまい、やがて小平太はちほ一座から去ってしまいます。
藤次郎やちほにとっては、誰の前で舞うか、演奏するかではなくて、お客さんを喜ばせたい。いろいろな人に自分たちのやっていることを観てほしい。
でも、小平太の中にはずっと自分の笛の腕を認めて欲しいという気持ちがあって、だからこそ、わかりやすく自分のステータスになるであろう太閤様にお呼ばれするという事実は、彼にとっては願ってもないチャンスだったのかなあと思います。

藤次郎と小平太がこのケンカをしたあと、ちょうど狙ったかのようなタイミングでお国が登場します。
ちほ一座の舞台を見て、お国は小平太に「藤次郎に(小平太の)笛の音が殺されている」「もっとわたしが笛の音を立たせてあげる」という小平太にとって一番魅力的な誘いをかけます。
小平太はその誘いにのって、ちほ一座から元のお国一座へ戻ることとなります。その誘いを断らなかったのは藤次郎とケンカしたという事実だけではなくて、小平太は自身の笛役者としての能力を認めてくれる相手であれば誰でも良かったのかなあとすら思います。

そうして、小平太は二幕からお国一座の一員となるのですが、お国一座の一員となってからもちほ一座のメンバーとして、全員が揃ってつけていた「ロザリオ」をお国一座となってもはずせない小平太をみると、笛の腕を認めてくれて、自分の笛の音を聞いてもらえるのであればお国一座にいたいけれど、ちほ一座で吹いた笛の音を忘れることができない小平太もいるのかなと毎回舞台を観る度におもいます。
そして、再度お国一座に戻って来ていても、やはり観客は自分の笛よりお国の舞しかみていないことを酔って河原を歩いていた時に傾奇者から現実を突き付けられ。結局一幕から二幕に至るまで、小平太は何一つ成長していないというか(笑)、悩みに悩んだ結果堂々巡りを繰り返して、結局自分の笛役者として自分はどうしたいのか?どう生きていきたいのか?を劇中でずっと悩み続けている気がします。

最終的に、そうして悩んだ果てに秀次の奥方様・子供たちの処刑のシーンを経て、「自分は笛役者として何を一番重視して生きるのか」が定まった結果、ちほ一座に戻るという終わり方になっているのかな?と思ったり。
そんな約3時間で悩み苦しんで成長していく小平太をみていると、もっと多くの人に小平太を演じる原くんの演技を観てほしいなあと思ってこの考察?感想?ブログを書いています。人によって感じ方は違うと思うので、いろいろな解釈の仕方があると思いますが、悩み苦しんでも最終的にゴールに辿り着く今回の桃山の小平太が好きだなあと思います。

もし良ければ残り数公演ですが、桃山ビート・トライブに観劇に行かれる方はそういった解釈の仕方もあるよ~とちらっと小平太と原嘉孝くんの演技をみてくれたらとても嬉しいです。他の解釈の仕方も聞いてみたい。

最後は皆で一緒に、「いざや、傾かん!」