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さあ行かなきゃ 勝負の場所へ

担当制度を撤廃します

どうも。自分の中で「担当」制度を撤廃しようとしているジャニーズのオタクです。

もはや「担当」を名乗らない=ジャニーズのオタクではないのかもしれないなと思いながら、とりあえず「担当制度は撤廃!」と思った心境の変化とかをまとめてみたいと思います。

 

 

はじめに ― 推しているのはアイドルか俳優か問題

なぜジャニーズにおける担当制度を撤廃しようと思ったか?

まず、今担当と名乗っていた人に対して、「アイドル」である姿よりステージ上で「俳優」として立っている姿の方がわたしは大好きなんだと気づいたところ。それってもはやジャニーズというアイドル集団がすきなオタクなのか?俳優業をやっているときのほうがすきです。元々の入りが舞台の0番で歌って踊るのをみて、すきだ!となったので余計に舞台で縦横無尽に活躍している姿を観ているとこっちも嬉しくなっちゃうんですよね。

ただ単にずっと彼の芝居を浴びたいって思ってしまって、アイドルとしての現場が自分の中で楽しいは楽しいけれど、舞台の方がもっと好きで楽しくて。

あとコンサートがあまり得意ではなくて。ファンサ貰えたらラッキーだけど基本的に一方的にパフォーマンスを眺めていたい(歳取ったなあと思う)。

なので、ひっそりこっそりおたくして一方的に観ていられる舞台がすきです。自分のフィルターを通してみた感想と、友人たちや他の人の目でみた時の感想と違うのもまた面白い。「この演技よかったよねえ!」ってあほなこと言って騒いでいたい。だから「担当」というよりもはや「推し」くらいの感覚です。いろいろなジャニオタがいるけれど、大半はやっぱり「アイドル」でいることを求めている方が多いと思うので、そうするとわたしにとって好きなタレントに対しての応援の仕方は「担当」ではないのかなあなんて。と思ったことがまずひとつ。

 

 

グループとしてが一番すきという問題

あとは、やっぱり振り返ってみたらグループまるっとすきなグループもあるなあと気づいたところ。

二人ほど今担当としていたひとたちがいて、そのうちの一人については、一個人の「担当」を名乗る以前に所属している「グループ」として大好きで、そのグループ自体の舞台やコンサートといった現場が一番すき。

でもチケットの譲渡であったりとかの連絡をするときに、さて誰の名前にしようかと思ったときに一番すきなメンバーを「担当」としていたけれど、でも結局のところ誰が好きということではなくて、そのグループ自体が大好きなんですよね。

正直実際長年担当でいる人たちの声とかをSNSで聴いていたりすると、全然自分の熱量なんてたいしたことなくて、「担当」と名乗るのもおこがましいなと思っています。それなら「担当」と名乗るのをやめちゃえ!みたいな。そんな理由もあったりします。

 

 

 「担当」を名乗ることによる義務の問題

三つめ、これが一番重くてどのジャンルのオタクをしていてもぶつかる壁。

三つめは、自分自身、「担当」を名乗ることによって、「義務」を感じてしまった結果、自分自身を縛り付ける「枷」になってしまうということ。

「担当」を名乗ることに対して、「義務」であると感じないオタクもいると思います。また、「義務」であることを喜んで受け止めているオタクもいると思います。

 そして、自分のように「〇〇くんとそのグループが好きなのだから、〇〇しなければいけない」と周囲の声を聴いて「〇〇する」という義務を勝手に自分に課して、その「〇〇する」という義務が自分にできない・合わないで苦しくなっている人も、多分いるんじゃないかなあ。

 

自分は当初、「義務」であることを喜んで「担当のためになることなら!」といろいろする側の人間で。特にジャニーズJr.に降りてからはそれが顕著で、Jr.担になってからまだ3年ですが、「担当」とした人に対しては時間もお金も費やしてしまうタイプでした。

チケットが余っていると聞いたら少しでも売り上げを上げなきゃいけないと舞台に通っていました。毎日舞台を観ていくのは楽しかったし、複数回入る度に舞台に対する考察もできてすごく楽しかったけれど、でも、本音を言えばしんどいなと思った日もありました。特に、体力的にしんどかった。

 一年に一度、公演期間2週間弱の舞台を全部行くならまだしも、それを5か月で3回、地方遠征込みで終わらせたときの最後の方はもう燃え尽きていて、世の中のオタクってすごいなあと勝手に尊敬していました。本当にすごいね。

 

あとしんどかったことと言えば、どうしても仕事を抜けることができなくて、二幕から行った日が何度もあったこと。

それでも、そのときは行けないかもしれない日でもチケットの売れ行きを気にして、「チケットを取る」「席を埋める」一心が勝っていて、「舞台に対する誠意」ということを忘れていたなと今を振り返ると思います。「舞台を観たい」という目的ではなくて「席を埋める」という目的になってしまったこと。

 

今振り返ると、がむしゃらに走ってきたなあと思うけれど、「担当」であるからこうしなきゃ、こうしたいという思い時間や金銭、体力的にしんどいと思う気持ちとか同じ舞台を何度も観ることの忍耐力とか。気持ちの整理をつけられずにただ闇雲に走っていたので、そのいびつな積み木の城が一度バランスを崩してガラガラと崩壊するのは、まあ容易かったです。

一度昨年の夏から秋にかけて、仕事のストレスもあり体調を大きく崩していた時期に「担当」の舞台やコンサートもなかった時期で。そんな時期に自分の夏までの行動を思い返すと、勝手に自分を自分で縛っていたのだなあと感じました。縛られていた、と気づいた瞬間に「抜け出したい」と思うようになって、「義務」と感じずに応援していくためには、一度「担当」であることをやめようという結論になりました。

 

 

満足がいくお金と時間の使い方がしたいという問題

最後に、四つめ。これはここ最近の話なのですが、ジャニーズの担当がいない舞台を観に行って、作品としてドハマりし、地方遠征を決めるくらいにはまっています。

お金も時間も有限なので、せっかくなら自分自身が作品としてすきだ、面白いと感じる舞台やミュージカル、コンサートがもっとみたいなと強く感じていて。

正直なところ、担当がでているからといって自分の好みに演出や脚本が合わなかったこともないわけではなくて。それでも無理して通うのではなくて、それならそのお金を別のところに使った方が良いのではないか?という考え方ができるようになってきたこと。

あと「当たらなかったら、この舞台(コンサート)には呼ばれていない」とだんだん割り切れるようになってきたということ。交換とか譲渡とかにも声をかけて、見つかるようであれば行けってことだし、そうじゃなかったら多分行かなくてもいいっていうことなんだろうなあと。

義務に似ているかもしれませんが、「担当」なのだから必ず一回は現場に行かなきゃ、という固定概念があってなかなか抜け出せなかったのだけど、もういっそ「担当制度撤廃してしまえばいいのでは?!」と思ったり。

 

 

おわりに

結果的に「担当」と(勝手に)名乗ることによって、名乗ったことによっていい意味でも悪い意味でも制限されるなあと感じます。

それがだんだん自分を苦しめていって、気づいたら勝手にああしなきゃ、こうしなきゃとガチガチに両手両足動かせないくらい固まって、身動きがとれずにもがいて苦しい、と思うこともあって、ちょっと肩の力を抜いてオタク楽しみましょ?楽しみたいな?という気持ちで、「担当」と名乗るのをやめようと思いました。

自分自身が「しんどい」ってオタクしてるのも違うな~と思うので。

 

と取り留めのない文章になってしまいましたが、今すごい楽しいです。行きたい舞台に行けるくらいのチケットの倍率で、そうじゃないときもチケットは取れたらいいな~くらいの気持ちで取って。もっとどうにかしていかなきゃ、みたいな強い熱量があったころも、それはそれでとても楽しかったけれど。今も楽しい。

とかいいながら、今週末も名古屋、来週末も大阪に別界隈関連で飛ぶんですけどね!どこまでも別界隈でも全力でオタクしないと気が済まないらしいよ。皆さんほどほどにオタクしましょう(笑)。